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はじめての鈴木大拙の感想~私たちは自分自身のままで満ち足りている

私は最近、「禅」の考え方が気に入っている。

「禅」というと「何だか人を煙に巻くようなややこしい説法をする宗派」みたいなイメージがあるかもしれないけれど、鈴木大拙さんの言葉を読むとそのイメージも覆ると思う。

鈴木大拙は、英語で禅など日本の精神文化についての著書を記し、海外に紹介した仏教学者。

今回は、大拙さんの言葉を読んで私が考えたことを紹介します。

私
私が読んだのは、この鈴木大拙さんの入門書『はじめての大拙』です。短くてわかりやすい言葉ばかりなので、タイトル通り大拙ビギナーにおすすめです。

禅とは徹底的に自分自身と向き合うこと

大拙さんによれば、

禅の本分とは、自分自身の奥の奥にあるものを体得するところにある。

そのために、日々の生活の中で自分の心と徹底的に向き合うのだ。

知識よりも、経験。

私
禅の言葉が時としてややこしくなりがちなのは、本来は感覚でしか理解できず、言葉で表せないことを表現しようとするからだと個人的に思います。

私たちはいつも、自分には知識など何かが常に不足していると思いがちだけど、実は私たちは自分自身であることで、すでに完全なのだ

わたしはわたし自身で完全であり、かれはかれ自身で完全ではないか。人生はこの生きているままで満ち足りている。 そこに人騒がせな知性が入ってきて、人生を破壊しようとする。その時はじめて、われわれは生きることをやめて、何か欠けている、何か足りない、と思いはじめる。

私たちは自分には何かが足りないと思い込み、知識を詰め込んだり、物を所有したり、他人の評価を得たりすることで埋め合わせをしようとする。

でも、自分の穴は自分でしか塞ぐことができない。

いくら物を所有しても、人に評価されても「まだ足りない」と常に飢餓感に苛まれ、ぽっかり口を開けた深淵は永遠に満たされることがない。

自分の心としっかり向き合わない限り、心の穴は埋められることがない。

モノやコトを売り続け人々に買わせることで成り立つ資本主義社会では、広告を通じて常に「あなたには何かが足りない」というメッセージを送り続けているように感じる。

モノやコトを買う時もそうだけど、人との付き合いに関しても、「自分の足りない部分を埋め合わせてもらおう」というマイナスからの出発的な考え方じゃなくて、「これがあれば、この人と一緒にいれば、私はよりハッピーになれる」というプラスアルファな考え方の方が、より幸せになれると思う。

否定も肯定もせず、ただ日々を生きる

私たちには、何も 策略を練らず、価値判断をせずに、ただ「生きること」に 充ちるときも必要なのです。

「あれがイケてる、これがダサい」など、自分も含めて人間はとにかく価値判断が好きな生き物だ。

でも、何かを「良い」とすると、必然的に「良くない」が生まれてしまう。

そうすると、自分の心は丸みを失い、角が立ってしまうような気がする。

私が憧れる人は、コンプレックスを持たず、他人を自分の物差しですぐ評価しない。

体形や体質など身体的な特徴を思い悩むのではなく、その特徴に関して、特に否定も肯定もしない。

ただ、「そういうもんだ」と思っているだけ。

他者に対しても同じ態度だから、つまらない理由でケンカをしない。

(赤ちゃんや動物も、価値判断せずにただ自然に生きているから、一緒にいると心が和むのかもしれない)

そういう人は心が円やかで、一緒にいてギスギスすることがない。

そういう人に、私もなりたい。

私
そして、自分の子供にも、禅の示すような豊かな考えを持って生きていってほしいなと思います。