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フランス在住者がコロナウイルスにまつわるアジア系差別について考えてみた

コロナウイルスが中国を中心に流行しているのは周知の通りですが、日本在住の両親から「海外でアジア人差別があるみたいだけど大丈夫?」と連絡をもらって、なんだかざわざわしました。

確かにツイッターの#JenesuispasUnvirusというハッシュタグでアジア系の人が呟いているし、フランスでもコロナウイルスに関するアジア系差別はあるんだなと知っていました。(某新聞社は「Alerte Jaune(黄色警報)」なんていう残念な見出しを付けていたみたいだし…)

最近はほぼ引きこもりだし特に嫌な目に遭うことはなかったのですが、身内に心配されると何だか急に不安が募り、外に出るのが少し怖くなりました。

でも、疑心暗鬼になって周囲のフランス人を「みんな敵だ!」と思うことはとても嫌なので、あまり気にしないようにしたいと思います。

そもそも、差別をするような残念な人は世界中のどこにでもいるし(それこそ日本でも中国人を差別している人もいるそうだし)、コロナウイルスっていうのは一つのきっかけに過ぎなかったのだと思います。コロナウイルスは、差別主義者の格好のネタになってしまったという感じでしょうか。

だから、過剰に気にして小さくなって生きるのは何だか違うと思います。

差別はいかなる理由でも醜いものですが、始終差別に怯えて暮らすのもまた素敵な生き方ではありません。

私は、差別をする人は心が満たされていない可哀想な人たちだと思っています。

最近マズローの欲求五階層について本を読んだのですが、差別主義者は欠乏欲求(生理欲求、安全欲求、愛と承認の欲求、承認欲求)が満たされていない状態で、心がカラカラに渇いているから、手っ取り早く他者を見下すことで何とか自己を保っているのでしょう。

人を蔑んだり馬鹿にしても自分自身の欲求は満たされないばかりか、むしろまともな人からは相手にされなくなって余計孤独になってしまうはずです。

とはいえ、こんなに偉そうに語る私自身の中にも差別意識がないとは言えません。

私が中国人と間違われると何となくもやもやするのは、中国人に対する差別意識があるからだと自覚しています。

海外で「中国人!」と誰かに言われて「日本人です!」とむきになって返すことも、差別につながってしまう危うさがあります。

でも、幸い私には中国人の親戚がいるので(夫の家族が中国人女性と結婚している)、彼女のおかげで中国のことが前よりわかるようになって、段々愛着も湧くようになりました。

差別は「知らないこと」を怖れることから始まると思います。

学ぶということは、そのためにあるのだと思います。

中国人の彼女も、明るくて人懐っこい一人の素敵な女性です。

私はブルーハーツの『青空』が好きなのですが、やっぱり人間は「生まれたところや皮膚や目の色で」わかりっこないし、私もわかった気になっちゃダメだと、曲を聴くたびにハッとします。

世の中には残念ながら他人を差別する人が少なからずいますが、ナチスのホロコーストに送られても人生に絶望せず強い心を持っていたエーミール・フランクルのように、逞しく生きていきたいと思います。

もし嫌な目に遭ってしまっても、フランクル先生みたく、人生のすべての出来事に自分なりに意味を見出していけたら、きっと怖いものはないでしょう。

私はいつでも、人の心を傷つける側に回ることはなく、「真善美」の価値観に与する側でいたいと思います。

まとまりのない文になってしまいましたが、これを書きながら、私はそういう態度で生きていこうと思いました。

海外に住む皆さん(あるいは日本でも)も、きっと私と同じような悩みを抱えていることと思います。

私のこの記事が、少しでも皆さんの心を軽く、そして強くできたら幸いです。