読書録

幸福の資本論のあらすじと感想!友達は不要かも?やっぱり弱いつながりが最強!

過去の記事でも書きましたが(大人になると昔の友達と疎遠になるけど新しい関係も増えるよねというお話)私は最近、人間関係のことでちょっと悩んでいました。

そんな時、「友達」を一つの「資本」として言及している『「幸福」の資本論』(橘玲著、ダイアモンド社)という本をたまたまネットで見つけて、読んでみることにしました。

私
感想はと言うと、ここ最近読んだ中で一番面白くてためになりました!

『幸福の「資本」論』のあらすじを簡単にまとめてみた

人が幸せに生きるための三つの土台

内容を端的に言うと、人が幸福になるために現実的な戦略を紹介している本です。

幸福に生きるためには、三つの資本が土台になると著者は説いています。

  • 1つ目は「金融資産」で、簡単に言うとお金のことです。
  • 2つ目が「人的資本」で、「恵まれた仕事」を指します。
  • 3つ目が、「社会資本」で、これは人間関係ということになります。

この3つを揃えると、「スーパーリア充」「超充」になれますが、原理的にほぼ不可能だそうです。

普通の人が幸せになるためには、2つの資本を持つことが大切だそうです。

一般的なリア充と言われる人は、人的資本(仕事)と社会資本(人間関係)が揃っていて、典型的なお金持ちは、人的資本と金融資産が揃っています(お金持ちになると友達ができない、孤独になるそうです)。

一つだけしか資本がない人の一例を挙げると、地方に住む低所得の若者、マイルドヤンキーと言われるような人です。

彼らはとにかく地元愛が強く、昔からの友達づきあいを大切にしていて、少ない収入を人的ネットワークで補っています。

全部失った状態は、例えば最貧困女子と呼ばれるような人達です。

彼女達は地元に頼れる人もおらず、読み書き能力もないので生活補助などの援助の申請もできず、生活に困窮しています。

以前は貧困女性のセイフティネットになっていた風俗業界も最近は供給過多で求められるレベルも厳しくなっており、この頃は介護業界がこういった女性の最後の砦になっているそうです。

私が一番ためになったのは「社会資本」のお話

「金融資産」「人的資本」の章も学ぶことが多かったのですが、とりわけ「社会資本」の章が一番ためになりました。

まず、人間はそもそも、社会資本(人間関係)からしか幸福を感じることができないそうです(進化の過程で、遺伝的にそういう風にプログラミングされているのだとか)。

人間関係というものは、私達の主観的には、愛情空間(家族・恋人)が大半を占めていて、その周りに友情空間があり、友情空間の周りに政治空間(友達でもないけど他人でもない人との関係)、そして薄く貨幣空間(金銭を介した関係)があるという認識ではないでしょうか。

しかし実際には愛情空間・友情空間・政治空間よりも、金銭を介したやり取りである貨幣空間の方が圧倒的にウェイトを占めているそうです。

政治空間と貨幣空間はそれぞれ、「統治の倫理(権力ゲーム)」と「市場の倫理(お金儲けゲーム)」で動いています。

政治空間、権力ゲームの原則は、敵と味方を分けて、味方を増やしつつ敵を殺すことにあります。

一方、貨幣空間は「正直」「契約の尊重」「他人との協力」というルールの下、競争はするのですが、暴力を排除する原理で動いています。

この2つの原理が混じり合うと、とんでもないことになってしまいます(例・一介の貿易会社だった東インド会社が、地方の権力者の介入によって非人道的な植民地支配へと発展したように)

個人VS間人

さらに、個人(the individual)と間人(the contextual)の対立についての見解がとても興味深かったです。

ちなみに「間人主義」というのは、人と人との関係を重んじその関係性の中で行動する主義で、「個人主義」は個人の意思を重視する主義です。

間人としての幸福というのは、「その組織内でのやりがい」とか「帰属意識」ということになりますが、間人としての幸福を追う場合は、「やりがい搾取」のリスクもあり、長時間労働や過労死、自殺など日本社会が抱える闇とつながりがあります。

著者はむしろ、間人としての幸福ではなく、個人としての幸福を追うべきではと述べています。

幸福に結びつく「自己決定権」の自由度が大きい人ほど幸福という研究結果が出ており、「自己決定権」や「自由」があるということは、個人主義が尊重されている状態と言えます。

現代日本を覆う閉塞感の正体は、狭い政治空間内でのやりがいを強要されることにあるのでは述べています。

人に嫌われることを極端に恐れる日本人は、実は常に「ピアプレッシャー」にさらされる政治空間が大嫌いだそうです。

常にピア・プレッシャーに晒されながら一つの組織に永らく留まる働き方ではなく、グローバルな貨幣空間の中で生きる方が幸福になれるのでは、と著者は説いています。

これからは「弱いつながり」を求めていこう

最近はネットやSNSの影響で、ベタなつきあいをしなくても、弱いつながりを気軽に持つことができます。

そういった弱いつながりの中では、「間人」としてではなく、「個人」として自由に振る舞うことができます。

「強いつながり」は「情緒的共感」が大切で、グループ外の人を排除・差別することによって成り立っていますが、「弱いつながり」は「認知的共感」の上で成り立っていて、異質な存在にも寛容です。

『幸福の「資本」論』を読んだ感想。ベタな人間関係に雁字搦めになるよりも、個人として生きたい!

私は元々濃いつながりが苦手で、最近は弱いつながりの方がいいなと思っていたので、腑に落ちました。

最近は地元の友人とのつきあいに違和感を感じるようになって、SNSのコミュニティとかネットを介した人付き合いの方が気楽だし、本当に話が合う人を見つけられると感じていましたし。

濃すぎる人間関係は軋轢を生むので、ネットのおかげで気軽な人間関係を簡単に築くことができる今の時代は本当に恵まれていると思います。

昭和のような濃密な人間関係が普通だった時代に生まれていたら、私はかなりしんどい人生を送っていたことでしょう。

昔から個人主義的な生き方が性に合っていて、海外に行ってみたいと思ったのも、日本的な考え方に馴染めなかったからでもあるかもしれません。

みんなが一丸となって、チームワークで頑張る!みたいな行事が苦手で、集団は恐ろしいものだと漠然と感じていました(小学生の時、高学年のお姉さんに「きみ、協調性がないね」と言われたことを今でも覚えています。学校コンクールの朝練にも遅刻してましたっけ…。やる気のない自分へのみんなの視線が痛かった…)。

他の集団を敵視してグループ外の人間を差別することで成り立っている「仲間意識」が個人的にとても苦手です。

一度致命的なミスを犯したら「仲間」から排除されるから、いつもビクビクしなければいけない気がします。

私
そういえばジャンプの某人気マンガがあまり好きではないのも、仲間との関係性が最重要視されているからだと気がつきました。

「チームワーク」「協調性」が重視される今の学校教育は間人主義的で、正直今の時代に合っていないと思います(私の学校が嫌いだった理由もここにあったのではと思いました)。

とはいえ、日本語という言語そのものも、相手との人間関係で文体や言葉遣いも代わる、間人主義的な「ハイコンテクスト言語」なので、日本人の考え方自体を変えるのも容易ではないのかもしれませんが。

私
フランスでは日本ほど「関係」に固執しなくていいから、そういう意味では気が楽です。こちらでのフランス人夫との暮らしは私の価値観に合っていたのか、日本にいた時よりも幸福感が大きいように思います。誰とも大きく依存し合わない個人主義的な生き方はやっぱり自由で良いですね!

幸福とは何か、どうすれば自分は幸福になれるのか知りたい方は、ぜひ『「幸福」の資本論』を一読してみることをおすすめします。

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てば幸いです。

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